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| (大型1種2種・けん引1種2種・普通1種2種・大特1種2種・自動2輪) 久保寺靖彦(くぼでらやすひこ)プロダクションコントロールディビジョン 統括部 1985.4.1入社 <経歴> ■ 立教大学時代、体育会自動車部に在籍 ■ 全関東学生自動車運転競技選手権 準優勝 ほか ■ 全日本学生自動車整備技術選手権大会 3年連続出場 まず大学で自動車部に入り、講習を受けずに自分で練習して直接、普通運転免許を取得しに行ったのが最初です。その他の免許は、就職浪人時代に履歴書に書ける資格を取ろうと思った際、車の運転ならできるなと考えて片っ端から取りました。普通 2種、大型1種・2種、けん引1種・2種、大特1種・2種と次々に。 普通運転免許の1種を取得したのが大学1年の12月です。2種免許は普通免許を取ってから3年以上経たないと受験資格が無いんです。私は19才の時に普通 免許を取ったので、他の免許は全て22才の時に受けました。そしてその年中に全て受かったんです。その時はこれだけの運転免許を持っている最年少者として「ベストカー」という雑誌にも載りました。警視庁が何歳の人間がどういう免許を持っているかというデータを発表するんですけど、当時、けん引2種を所持している約230人の中で、22才の私が最年少だったんですよ。次が26才くらいの人でした。 けん引2種と大型特殊2種というのは、車として今、日本にはほとんどないんですよ。だから皆ほとんど受けないんです。私が免許を取った頃は「つくば万博」があってトレーラーバスが走っていたんですが、けん引2種免許を持っている人が集まらなくて、結局大型2種の特別 免許で運転していた様です。それくらいけん引2種免許は受ける人が珍しかったのです。二種免許に合格した時には日本交通 や帝国交通などのスカウトマンが寄って来るくらいでした。 自分で車を改造してジムカーナやダートトライアルに出場してましたから、整備もできます。 当時は「全日本学生自動車整備技術選手権大会」という大会があって、私はその大会に3年連続で出場しました。実務経験がないので、整備士の免許(国家資格)は持っていませんが。 高校生くらいまではなりたかったのですが、あきらめました。お金がないと、やっぱりプロのレーサーになるのは難しいですね。 気象予報士の資格を取りたいですね。かなり難しい試験ですけど。あとは、2002年のワールドカップに向けて、現在、韓国語を勉強中です。 具体的にはあまり考えていないですけど、やっぱりトラックとかトレーラーとかを見ると運転したいと思います。また、ディズニーランドでライトアップされたカタツムリがくるくる回っているのを見ると運転してみたいなと思ったりします(笑)。あれは特別 な免許は要らないでしょうけど・・・.。 主藤正道(しゅとうまさみち)戦略グループ 1995.10.1入社 中学3年の時に、仲が良かった友達と一緒に始めました。メンバーそれぞれで楽器を選ぶときに、最後までドラムが残っていたのでドラムをやることにしました。 中学3年の時に1セット購入し、高校の時に1セット買い換えました。一生懸命バイトしたんですよ。 布団を詰めて、シンバルにタオルを巻いて、あまり音が響かないように自宅で練習していました。親はドラムセットを買うと宣言した時点で半分あきらめていたので、全然文句を言ったりはしませんでした。 ずっと一貫して外国のロックばかり演奏していました。ヴァン・ヘイレンが一番最初に演奏した曲かな。ヴァン・ヘイレンの曲はドラムのパートがめちゃくちゃ難しかったですね。あとは、ジャーニーとか。個人的にはレッド・ツェッペリンとか、QUEENが好きだったんですけど、やっぱりライブハウスで演奏してもあまり受けないので、主にその時に流行っていた曲を演奏していました。 高校生の時は週に2〜3回していました。学校が終わってからそのままスタジオに行って夜に帰るというように、部活みたいな感じで練習していました。 中学・高校の頃は2ヶ月に1度くらいの頻度でライブハウスに出演していた他、月に1度くらい楽器店主催のライブなどにも出演していました。大学では軽音楽部に入ってサークルの定期演奏会やライブハウスなどで演奏していました。 大学の合宿は大変でしたね。移動する際にもみんなそれぞれ自分の機材を持っていこうとするから、トラックに何セットも機材を詰め込んで、一つのコンサートチームみたいになっていました。合宿が始まってからもハードでしたね。サークルは100人くらいの大所帯でその中に40くらいのバンドがあったんですけど、ドラムは5人くらいしかいなくて、どう考えてもドラム1人が10個くらいのバンドを掛け持ちしなければならなかったんですよ。しかも上級生は自分の組みたいバンドとしか組まないから、必然的に一年生は空いているバンド全てに割り振られるわけです。普通 、合宿だとみんな昼間はテニスしたり夜は飲み会やったりするじゃないですか。でも、ドラムは朝から晩までずっと練習なんですよ。一番辛かった時なんて15時間くらいほぼぶっ続けで練習していましたね。バンドごとに曲が違うから覚えるのも一苦労だし。楽しいことといえば、ライブの際ライトが落ちた後、ドラムから演奏がスタートする瞬間はすごく気持ちいいですね。それ以降はみんなボーカルしか見てないですけどね。(笑) 誰かの結婚式の2次会など、機会がある時に演奏しています。要請があればいつでも演奏しますよ。葵プロバンドを結成しましょう! 藤木憲太(ふじきけんた)クリエイティブディビジョン 企画演出第4グループ 2000.6.1入社 「ファッション通信」(テレビ東京にて放送のファッション情報番組)をやっていた頃、ファッションカメラマンを取材する機会が多くて、彼らと接しているうちに写 真に魅力を感じて始めました。最初は独学で勉強をして撮り始めて、そのうちにクラブで知り合ったスタイリストやヘアメイクと作品撮りの話になってコラボレーションしたりして、それを基に徐々に営業をしていきました。写 真はインファス(映像・出版会社)にいるときに1年、フリーで5年、トータルで6年間くらいやっていました。 初めはファッション写真が多かったですね。基本的に「VOGUE ITALIA」が自分にとって聖書のような存在になっていて、その辺りのファッションカメラマンに影響されたので。カメラを持ってクラブに遊びに行くうちにお店の人たちと仲良くなって、頼まれるようになり、DJの写 真を撮ることも始めました。 あるファッションブランドの広告写真を海岸で撮影していたんですが、突然大きい波がきてカメラが波にさらわれて、全部水にかぶってしまったことがありました。保険などもきちんとかけていたので良かったのですが。 もともとヴィーナスフォートを週末だけクラブにしようという企画があって、そのVJ(Visual Jocky)を頼まれたんですよ。でも、どうせだったら写真展もやろうという話しになって写 真展になったわけです。DJやクラブの写真を中心に映像にしました。 クラブって情報の発信源的な場じゃないですか。会社だと会社の中だけのネットワークしかないけど、クラブに行くといろいろな年齢層の人が来ていて、いろいろな職業の人が集まっていて、よくよく話してみると意外なところでつながりがあったりして。とにかく、色々な人達と会えるという場に魅力を感じてクラブに通 っているうちに、そこで出会った人たちの写真を撮るようになったんです。基本的に人と話すのが好きなので、色々な人と話しながらコラボレーションしていくのがとても楽しいんですよ。 ニコンのF4です。それを自分なりにちょっとカスタマイズして撮っています。他にも全部で10台くらい持っていて、必要に応じて使い分けています。でも、クラブには35ミリ以外の大きいカメラは持っていきません。あまり大きいと撮られる側も構えちゃいますからね。あまり構えられた写 真は好きじゃなくて。みんな素で酔っぱらってたりする写真が妙に良かったりするじゃないですか。 STEVEN MEISELなど、ファッション系のカメラマンが好きですね。他にも好きなカメラマンはいっぱいいますよ。 あまり意気込んで見に行く写真展でなくて、遊びに行ったらやってたとか、ふらっと立ち寄れるような方がいいですね。興味のない人にも見てもらいたいですし。そういう人たちに見てもらって、あ、いいよねって感じて言ってもらった方がうれしいです。 はい。続けていきます。スチールフォトを活かしたCMも作っていけたらいいなと思います。写 真と映像を組み合わせた手法でもいいし、スチールカメラマンとしての観点を活かした撮影もできると思うし、とにかく今まで自分が培ってきた経験を活かしていきたいなと思います。 みんなクラブへ行こう、ビリヤードもやろう(でもB級・・・打倒・藤原本部長)! << 経歴 >> |